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2024/11/23 (Sat)
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2009/07/20 (Mon)
 EVO-R第8話ラスト記事です。形を取らない事柄を思うままにつらつらと。

 この回、見る前から要の部分を知ってしまってる状態でした。ラドックの過去、ズーマがアベルを手にかける
こと、最後はゼロスに消されてしまうこと。勿論、驚愕しました。そして同時に、何の理由でそうなった!?と疑
問が涌きました。

 嘘だろと言われそうですけど、私、メディアミックスに当たって原作からの改変があるのって当然だと思ってる
んです。むしろ原作をそのまま映像化すると、それが忠実であればあるほど原作のダイジェストになってしまっ
て、テンポが違うとかそういう部分に違和感を強く感じると思う。それよりはむしろ、切るべきところは切り、強調
すべきところは強調し、独自の視点を入れてひとつの作品として作り込んで欲しいと思ってます(無論、それで
作品の根底がおかしくなったり、キャラが崩壊してたり、過去の出来事と噛みあわなかったり、異様にテンポが
悪くなったりしたと思ったら盛大に嘆く訳なんですが)身も蓋もないことを言えば、見て納得できればそれで良い。
なので最初に改変を知ったときも、見終わったとき納得できるのかって心配してたんですが……

 結果、納得どころか圧倒された。余計なこと考えてる暇もなかった。
 
 本当に、思い切ったなあと。何よりズーマがアベルを手にかけたことが。原作だとアベルの呼びかけによって
迷いが生まれ、それがズーマの敗北のきっかけになった。そのままの展開にしてもよかったのに、わざわざこ
の結末にした。それは本当に、勇気の要る決断だったと思います。

 この結末になった理由は、多分、EVO-Rのテーマだろうと思う「どちらもが本性」を打ち出すためなんだろう
と思います。やり場のない怒りを抱え、それがじわじわと重なり集まって、闇が生まれてしまった。ラドックはそ
ういう闇の部分を持ち続け、けれど同時に子供を思いやる感情を持ち続けてもいる。片方は本物で片方が偽者
ということはなくて、どちらもが本性。それを表すためには、闇の部分が子供を思いやる感情の前に、簡単に屈
する姿を描く訳にはいかなかったんじゃないかと。どちらもが同じ強さで並び立っているからこそ、状況によって
は闇が上回ってしまうこともある、その姿を見せつけるために、この結末が決められたんじゃないか、と。

 それに何より、原作のズーマと今のズーマには大きな違いがある。原作のズーマは同じくリナ達に恨みを持
つセイグラムと同化したズーマ=セイグラムだったけど、今のズーマはあくまでもズーマ=ラドックであり、どこ
までも一人の人間。原作では、最後にセイグラムの意識をラドックの心が上回り、「人間の心がゆえに」敗れた
という点に意味がありました。けれどEVO-Rでは、「人間の心がゆえに」説明も納得もできない結末が引き起
こされる。ズーマが人間であること、それがこの分岐の最大の原因だったように思えてならないです。

 最後のゼロスの乱入も、それを強く印象付けました。腕に魔族を食おうが結局は人間で、ゼロスがその気に
なればあっさりと消されてしまう。何の感傷も余韻もなく。その現実と、ゼロスの魔族としての面を見せ付けるた
めに、この乱入はこの上なく効果的だったと思います。本当に、知っていてすらあまりにもあっけなく、虚しかっ
た。ズーマの最期に余韻を感じさせるような時間が与えられていては、ここまでのやりきれなさは出なかったと
思うのだけども、それでも愕然とするしかなかった。

 それと、最後がゼロスになったこと、これは多分、原作11巻や15巻のように、リナが重荷を背負うという展開
を避けたかったのかな、と。ここで重荷を背負ってしまっては、EVO-Rのテーマらしき「どちらもが本性」より
も、そちらの方に目が行ってしまうかもしれない。それを避けるために、敢えてゼロスに手を下させて、リナが重
荷を背負うのではなく、感じる程度に留めさせたのかとも思います。EVO-Rではズーマの過去をリナが知っ
てしまって、しかも目の前のアベルを守れなかったという要素が加わった分、余計に重くなりがちです。それが
ゼロスの乱入というどうしようもない出来事によって、ある意味では有耶無耶になった。手を下さずに終わった
分、重くはないけれども、逆に何もできなかったという無力感とやりきれなさが残る。そういう狙いもあったのか
なと……いずれにしても、愕然とさせられました。

 愕然としたと言えば、ラドックの過去の事実。これが原作者が考えていて、けど文章に入れるには唐突すぎる
からと切られた部分だということで……設定としてあったのは「盗賊に妻を殺されて、その感情が拡大していっ
た」の部分までか、「死んでいく妻を見つめ続けるしかなかった」という部分も含めてか分かりませんが、いずれ
にしても想像の範囲を超えていたし、よくここまで真正面から描いたと思います。ここまで救いのない様子を。
元々スレイヤーズの世界って、簡単に人が殺されるんですよね。これまで中心的に描かれたのは、その中で
生き残っていく様子。けど、こうして救いのないまま死んでしまう人もいるし、それがきっかけになって大きな出
来事が引き起こされてしまうこともある……原作だと2部のルークですね。この回を見て、REVOとEVO-Rで
は2部の要素が含まれる、っていう情報にやっと納得しました。2部のエピソードをやる訳ではないけれど、2部
の根底の部分、どこまでも人間の話であること、それが描かれた気がします。

 ……2部のルークたち、TRYの竜たち、これまでのそうした死者は、必ずリナ達や、誰かがその事実を受け
止めきっていたと思います。そこにまだ救いがあった。けれど今回のラドックの妻は、それをラドックが受け止
めたことが原因となり、闇に沈んでしまった、それが一番救いがないことだと思えてなりません。ズーマ=ラドッ
クとこの後に続くレゾ、これを受け止めて歪まずに生きるということが、EVO-Rの着地点なのかもと思います。

 私にとって、この回のキーワードはやっぱり「怒り」です。やりきれなさ、憤り、虚しさ、そうしたものが交じり合
った、一言では「怒り」としか呼びようのない感情。そうした人間だからこそ持つ感情が闇を生み、それに出会っ
た側もやはり同じような感情を持つ。8話はそんな話だと思います。

 あと、完全に個人的な感覚の話を。この回、実は見ながらとても不思議な感覚がしていました。それは、冒頭
の会話、「魔族としての自分⇔人間としての自分」や、転がる剣の柄、輝き翳る刃の打ち合い、そして何よりも 
おやこじゃないか」を見聞きした時のこと。見聞きしながら、EVO-Rと原作の、ふたつの光景が頭の中でぶ
つかり合っているような感覚がしていました。あれを共振と言うのかもしれない。それが起こったということは、
EVO-Rが原作の光景を引き寄せて、けれどそれを取り込みも取り込まれもせず、完全に独立していたという
ことなのかもしれないなあ、と。感覚の話なので説明のし様もないのですが、何と言うか、目の前のこれこそが
EVOLUTION-Rなんだと、そう思いました。

 いくら考えても言葉が見つからない、そんな存在である8話。何度でも言い、思います。凄い回でした。

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